夕陽会の由来
「夕陽会」の名称が、当初の「函館師範学校同窓会」から、何時変わったのか今のところ詳しいことは判らないが、大正8年3月の第2回生の卒業式で、先輩である第1回生の祝辞の中に「此の夕陽丘の学舎に於いて、諸君と苦楽を共にし…」とあることや、寮歌の夕陽丘の語句などから由来するものであることは、想像するに難しくはない。 当時の学舎から見渡せる、遠く千軒岳に連なる山並みに沈む夕陽が、西の夕映えとともに校舎や寮舎を美しく彩ったこととあわせ、青春多感な中で「夕陽丘」と名付けたものと考える。
建学精神
明治になり、北海道の開拓に拍車がかけられた頃、明治天皇のご沙汰書にしめされた「向学、土地墾闢、人民蕃殖、北門ノ鎖鑰厳ニ樹立シ、皇威御更張ノ基ト可相成」という言葉の土地墾闢、人民蕃殖の文字を、初代校長和田喜八郎氏が開学の精神として唱道、実施したことに由来する。
会旗と夕陽讃歌
北海道教育大学夕陽会創立80周年記念事業の一環として、平成10年8月8日「夕陽会旗」の作成と「夕陽讃歌」を制定しました。
夕陽会旗は、同窓会のシンボルとして作成されたものです。
夕陽魂が満ち溢れるようにとの願いをこめて、夕陽(ゆうひ)が変化していく様にみられる色、臙脂(えんじ)色の地に北海道教育大学と夕陽會の文字、校章と白一線を白抜きにしました。
文字は、千葉軒岳氏(昭和34年卒)による揮毫で、校章のデザインは岩館こずえ氏(昭和57年卒)によるものです。
夕陽讃歌は、会員相互の絆をより強めるために同窓会のアイデンティティーであり、よりどころである「夕陽(せきよう)の心」を「讃歌」として誕生させたものです。夕陽讃歌が、21世紀への文化遺産として永く愛唱され、会員一人一人の心に刻まれていくことを記念して、佐藤 任氏(昭和16年卒)が作詞を、寺中哲二氏(昭和31年卒)が作曲したものです。
北海道教育大学夕陽会設立80周年記念事業委員会(夕陽会報162号、164号より)
沿革略史
函館師範学校
- 1912(明治45)年6月
- 北海道函館師範学校設置を文部省が認可
- 1914(大正3)年2月
- 北海道函館師範学校長に和田喜八郎氏就任
- 4月
- 校舎、寄宿舎竣工
第1回入学式挙行(本科第一部2学級80名) - 1918(大正7)年3月
- 第1回卒業式挙行(第1回卒業生68名)
- この時期に寮歌作成される
- 9月
- 同窓会設立委員会発足、同窓会会則及ぴ細則が決まり、同窓会が発足
同窓会の全長は当分の間本校の校長が当たることとなる
同窓会の代表幹事に古谷全氏が当たる - 1923(大正12)年10月
- 第二寄宿舎竣工
- 1924(大正13)年5月
- 母校創立10周年記念式典挙行、記念誌「久遠」発行
- 1927(昭和2)年11月
- 初代幹事長に町田利兵衛氏就任
- 1936(昭和11)年
- このころ同窓会地方組織が充実してくる
- 1937(昭和12)年4月
- 第2代幹事長に吉村庄司氏就任
北海道第二師範学校
- 1943(昭和18)年4月
- 官立北海道第二師範学校開設
初代同窓会長に高坂久喜氏就任
(以後、同窓会長は本校校長から同窓会員が就任することになる)
第3代幹事長に庄内武治氏就任 - 9月
- 北海道第二師範学校第一回卒業式挙行(卒業生64名)
- 1944(昭和19)年
- このころ卒業生、在校生多数が出征していく。戦傷者、戦死者が出る
- 1945(昭和20)年3月
- 桐花南寮(1日寮)火災(14日)、以後、全寮制が廃止される
- 1946(昭和21)年6月
- 女子部設置(旧谷地頭小学校校舎)
- 1948(昭和23)年4月
- 第4代幹事長に斉藤繁氏就任
北海道学芸大学函館分校
- 1949(昭和24)年5月
- 北海道学芸大学函館分校開設
- 1951(昭和26)年3月
- 北海道第二師範学校最後の卒業式挙行
- 初代同窓会長に高坂久喜氏就任
(以後、同窓会長は本校校長から同窓会員が就任することになる) - 1952(昭和27)年
- 第2代会長に窪田長松氏就任
- 第5代幹事長に大沼保徳氏就任
- 1954(昭和29)年1月
- 函館大学設置規成会発足、同窓会は期成会に協力募金を開始
- 11月
- 第6代幹事長に小島昌平氏就任
- 1955(昭和30)年5月
- 会報「夕陽」第50号発行(以後、年2~3回定期的に発行)
- 1956(昭和31)年7月
- 女子寮(翠蔭寮)敷地、建物買収
- 1958(昭和33)年9月
- 第3代会長に加茂勝衛氏就任
- 第7代幹事長に剣地菊五郎氏就任
- 11月
- 男子学生寮(桐花寮)改築
- 1959(昭和34)年11月
- 函館大学設置期成会寄贈の自然科学館竣工
- 1962(昭和37)年6月
- 第8代幹事長に藤川光夫氏就任
- 1964(昭和39)年7月
- 母校創立50周年、開学15周年記念式典挙行、同窓会として記念誌「夕陽」発行
北海道教育大学函館分校
- 1966(昭和41)年4月
- 北海道教育大学函館分校と名称変更
- 母校校舎増改築促進資金の募金活動開始
- 1967(昭和42)年6月
- 第9代幹事長に乙部光吉氏就任
- 1968(昭和43)年3月
- 第4代会長に西村賢三郎氏就任
- 9月
- 北方教育資料館・タ陽記念館設立
- 北海道師範教育発祥記念之碑建立
- 1970(昭和45)年6月
- 第5代会長に上田嘉一氏就任
- 1974(昭和49)年9月
- 第10代幹事長に伊藤義行氏就任
- 1975(昭和50)年5月
- 前納会費制(本部費終身通常会費)を決定
- 1976(昭和51)年7月
- 第6代会長に高杉留七就任
- 第11代幹事長に瀬川直光就任
- 1977(昭和52)年12月
- 第1回夕陽音楽会開催(以後、4年毎開催)
- 1978(昭和53)年10月
- 第1回夕陽書道展開催(以後、4年毎開催)
- 11月
- 第1回夕陽美術展開催(以後、4年毎開催)
- 1980(昭和55)年6月
- 第12代幹事長に安島進氏就任
- 1981(昭和56)年3月
- 女子学生寮(現在翠蔭寮)竣工
- 6月
- 昭和55年度タ陽会総会を札幌市で開催
- 1982(昭和57)年12月
- 男子学生寮(現在の桐花寮)竣工
- 1984(昭和59)年6月
- 第7代会長に瀬川直光氏就任
- 第13代幹事長に小林信夫氏就任
- 1990(平成2)年6月
- 母校の国際交流事業基金募集への協カ開始
- 11月
- 金子鴎亭(賢蔵)氏(昭和4年卒)文化勲章受章
- 金子鴎亭氏文化勲章受章祝賀会開催
- 1991(平成3)年11月
- 母校の国際交流基金目標1億円突破、基金募金協カ会解散
北海道教育大学教育学部函館校
- 1993(平成5)年4月
- 北海道教育大学教育学部函館校と校名改称
- 7月
- 第14代幹事長に松本征八氏就任
- 1994(平成6)年3月
- 教育資料館・夕陽記念館外壁、屋根塗装工事
- 6月
- 第8代会長に安島進氏就任
- 1996(平成8)年7月
- 夕陽会会則を大幅に改定、施行
- 本会の名称を「北海道教育大学夕陽会」とする
- 「夕陽会報」が159号よりA4版に変わる
- 9月
- 夕陽会創立80周年記念事業委員会発足
- 1998(平成10)年8月
- 夕陽会創立80周年記念事業実施
- 記念式典・祝賀会・教育フオーラム・記念美術展・夕陽光景写真展開催
- 夕陽讃歌制定・夕陽讃歌等CD・夕陽会旗・はんてん製作、八十年史発行
- 1999(平成11)年10月
- 夕陽会ホームページ開設
- 2000(平成12)年2月
- 夕陽記念館が文化庁より「登録有形文化財」の認定を受ける
- 4月
- 有珠山噴火見舞肥募金実施、関係者に送付
- 9月
- 夕陽記念館整備委員会発足
- 2001(平成13)年6月
- 平成13年度タ陽会総会を札幌市にて開催
- 運営指標を「創造し行動する夕陽会」とする
- 10月
- 夕陽記念館屋根、外壁修理、塗装
- 11月
- 夕陽記念館展示目録発行
- 2004(平成16)年6月
- 第9代会長に川島孝夫氏就任
- 2008(平成20)年5月
- 夕陽会創立90周年記念行事・事業実施
- 夕陽記念館改修オープニングセレモニー
- 夕陽記念館収蔵品目録発行
- 6月
- 夕陽会創立90周年記念式典、祝賀会、記念音楽会開催
- 記念誌(九十年誌)発行
- 第10代会長に橋田恭一氏就任
- 2010(平成22)年2月
- 「夕陽会報」200号発行
- 2014(平成26)年6月
- 母校創立100周年記念式典への協賛
- 2016(平成28)年6月
- 第11代会長に藤川隆氏就任
- 2018(平成30)年6月
- 夕陽会創立100周年記念「美術・書道展」開催
- 夕陽会創立100周年記念式典、祝賀会、記念講演会、ホームカミングデー開催
- 夕陽会創立100周年記念誌(夕陽が丘)、創立100周年記念会員名簿発行
- 夕陽会創立100周年記念クリアファイル(3種)製作
- 2022(令和4)年6月
- 第12代会長に風間和夫氏就任